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総社市の総社宮 4・29 [2024年]

DSC03302.JPG☆広大な境内を回廊が走り、それらが集まってくるのが、本殿の拝所まえ。出雲式のしめ縄。この「総社」を建てたのも、ヤマトから来た国司か。それなら近くに政庁が出来ていた。

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吉備線の吉備総社 4・29 [2024年]

DSC03354.JPG☆東総社駅からすぐのところに「総社」があります。地名とまぎらわしいので、「備中国総社宮」が正式の神社名です。備中岡山の「総社」とくらべて、今日までおおいに栄えています。武蔵の大国魂神社のように。吉備線の終点を最初はここに置き、岡山駅から蒸気機関車が走りました。

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総社近代 4・28 [2024年]

DSC03306.JPG☆吉備線ができたのは、1904年(明治37年)、日露戦争に勝利したころです。伯備線より20年以上も前です。わたしの手書き地図は杜撰ですが、足守からこの駅までほぼ一直線に線路を引いています。駅は町の北はずれになります。伯備線も一直線に北から南へ抜けます。前者は田の中ですが、こちらは町中を縦断します。軍と財閥の強権が働いたのでは、と推測しています。

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大吉備国の中心 4・28 [2024年]

DSC03349.JPG☆話を備中に集中します。その前に概略図です。足守のつぎは服部(はっとり)駅。百済からのハタ織が集住していたのでしょう。つぎが、東総社です。むかしはここが総社駅。総社市の中心街が南側にひろがります。山陰と山陽をむすぶ伯備(はくび)線は、吉備線よりも遅く敷かれました。見て見て。洪水に遭った真備町(まびちょう)は「!」です。訂正・清海→清音(きよね)。

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参考までに 4・27 [2024年]

DSC03329.JPG☆武蔵の国府を例にあげます。場所はわかっていて、府中市。いまは赤い柱が目印に立っています。写真の奥に玉垣が見えます。鬱蒼と大木が茂るのは、ご存知、大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)です。そう、これは総社なのです。氷川神社や秩父神社など6社をまとめていて、六所宮とも呼ばれています。役所(国衙(こくが))と土地を接しいるのは、遠く関西からやってきた国司には、狼やイノシシの出没する武蔵野は身ぶるいするほど怖かったのかも。

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確定備前国府 4・27 [2024年]

DSC03350.JPG☆ありました。「国府市場」広場から70メートルほど北に、「備前国総社宮」(写真)がありまはた。府庁に赴任した国司は、領国のすべての神社にお参りする規定がありました。面倒がった貴族は役所の近くに、総ての神社をひと纏めにした神社を造らせました。例外もありますが、総社があれば国府あり。

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ここ備中国府 4・26 [2024年]

DSC03297.JPG☆府庁は国府と同じでいいです。府庁のある場所を府中ともいいます。その地名「府中」が残る土地はおおいです。備中の府中は、どこか。書類中心の歴史では、見つかりません。ただ、現在の岡山市の地名に、「中区国府市場50 」という場所があります。戸建て住宅に囲まれた広場です。隠された地名を住人が守りましたか。前の地図のポインターの場所です。

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備前政庁 4・26 [2024年]

DSC03288.JPG☆大化の改新の方針どおり、でかすぎる吉備国(きびのくに)は、備前・備中・備後の3国にバラされます。ヤマト政権の天智(てんじ)天皇の悪意を感じますね。律令の新制度にしたがい、各国に「国司(こくし)」が置かれ、朝廷から送られてきます。いまの県知事みたいです。備前国の政庁で執務をするのですが、その場所がわからない。伝えられる「政庁」の場所が赤のポインターで、左下のカーソルが岡山駅です。なぜ所在場所が不分明なのか。書類が破棄されたからです。(縦に流れる川が旭川、右に伸びているのがのちの百間川です)

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はんちく 4・25 [2024年]

DSC03285.JPG☆西門の脇の土壁を見てください。版築といい、大陸によくある壁です。日本では朝鮮式土塁だとしています。板枠のあいだに土をいれて一層ごと突き固めます。木枠をはずして出来あがります。鬼ノ城が朝鮮式山城といわれるのはそのためです。白村江から逃げてきた百済人が造りました。鉄の国・吉備には、むかしから渡来人がおおくいました。しかし主体は縄文からつづく倭人(わじん)です。古墳に眠る王は日本人です。

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びぜん、びっちゅう、びんご 4・25 [2024年]

DSC03269.JPG☆西の門です。再建されたもので、いつの時代のつもりか、わかりません。観光門としておきますか。ただ、城の位置だけは、動いていません。律令政治が始まったとき、吉備は分国と言われて、反対しますが、要所にいるのはヤマト政権が派遣してきた役人と武装集団です。かれらは吉備国の中心の「吉備の中山」に直線を引き、東を備前、西を備中にします。さらに西を、備後と名付けます。無機的な、前・中・後を「吉備」の備にくっつけただけです。行政造語の地名のあじきなさは現代につづきます。

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