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すこし散策 5・2 [2024年]

DSC03315.JPG☆総社宮にもどって来ました。鳥居の前の道は、いまは「商店街通り」と呼ばれています。古くは団子屋や旅籠や土産物屋や酒処が並んでいたでしょう。色里の一郭もあったでしょうが、地図からは確かめられません。左へとまっすぐ歩けば、現在の「総社駅」にぶつかります。

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国府見つけました 5・1 [2024年]

DSC03300.JPG☆総社宮から東へ、服部駅の方向に2キロ。「伝備中国府跡」という土地を見つけました。鬼ノ城を仰ぐ、田の中の一角は静まりかえっています。国司もやって来なくなり、土地の人はもう無関心。それで朽ちるがままですか。100年ばかり、ここで作成された書類はすべて散逸しましたか。それとも、破棄。なんのために、だれが。備前と備中の国の中心の「朱色の柱に瓦葺き」の両役所に、なにがあったのでしょう。「伝」ですよ。

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つぎへいけ 5・1 [2024年]

DSC03357.JPG☆はい、池です。総社宮の境内にあります。かつては、ここが倉敷や岡山よりもおおきな街であったのを知ります。つぎ、なにからやりますか。まだ「総社」という地名のなかった「吉備国」の歴史も、語り終わっていません。「つぎへ池」では通りません。まちなかを散歩したり、この土地が古墳時代から発展したわけをさぐりますか。それとも、ヤマト政権の侵攻に勝利をゆずった理由ですか。それとも、分割された残りの国、備後、美作(みまさか)に行きますか。

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総社本殿か 4・30 [2024年]

DSC03369.JPG☆奥のほうに立派なお宮が。こちらが本殿で、さきのところは、拝殿でしたか。律令が終われば、国司もいなくなる。総社も不要になるのに、なぜかここだけは栄えた。商人と農民が支持した。土地の名まで、「総社」になる。(くりかえしています、すみません。つぎへいけ)

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回廊 4・30 [2024年]

DSC03361.JPG☆回廊が素敵です。吉備津神社も長かったですね。国司が「総社」を造ったにしても、それは吉備を三分国してすぐではありません。すぐのころは、真面目に自分が管理する領国内の神社をまわったでしょう。律令政治にほころびが目立つようになり、まもなく平安時代になるころ、「総社」の奇策が始まります。

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総社市の総社宮 4・29 [2024年]

DSC03302.JPG☆広大な境内を回廊が走り、それらが集まってくるのが、本殿の拝所まえ。出雲式のしめ縄。この「総社」を建てたのも、ヤマトから来た国司か。それなら近くに政庁が出来ていた。

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吉備線の吉備総社 4・29 [2024年]

DSC03354.JPG☆東総社駅からすぐのところに「総社」があります。地名とまぎらわしいので、「備中国総社宮」が正式の神社名です。備中岡山の「総社」とくらべて、今日までおおいに栄えています。武蔵の大国魂神社のように。吉備線の終点を最初はここに置き、岡山駅から蒸気機関車が走りました。

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総社近代 4・28 [2024年]

DSC03306.JPG☆吉備線ができたのは、1904年(明治37年)、日露戦争に勝利したころです。伯備線より20年以上も前です。わたしの手書き地図は杜撰ですが、足守からこの駅までほぼ一直線に線路を引いています。駅は町の北はずれになります。伯備線も一直線に北から南へ抜けます。前者は田の中ですが、こちらは町中を縦断します。軍と財閥の強権が働いたのでは、と推測しています。

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大吉備国の中心 4・28 [2024年]

DSC03349.JPG☆話を備中に集中します。その前に概略図です。足守のつぎは服部(はっとり)駅。百済からのハタ織が集住していたのでしょう。つぎが、東総社です。むかしはここが総社駅。総社市の中心街が南側にひろがります。山陰と山陽をむすぶ伯備(はくび)線は、吉備線よりも遅く敷かれました。見て見て。洪水に遭った真備町(まびちょう)は「!」です。訂正・清海→清音(きよね)。

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参考までに 4・27 [2024年]

DSC03329.JPG☆武蔵の国府を例にあげます。場所はわかっていて、府中市。いまは赤い柱が目印に立っています。写真の奥に玉垣が見えます。鬱蒼と大木が茂るのは、ご存知、大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)です。そう、これは総社なのです。氷川神社や秩父神社など6社をまとめていて、六所宮とも呼ばれています。役所(国衙(こくが))と土地を接しいるのは、遠く関西からやってきた国司には、狼やイノシシの出没する武蔵野は身ぶるいするほど怖かったのかも。

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