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珠洲の起こり 1・31 [2024年]

DSC02617.jpg☆タコからさらに行くと、能登半島の先端になる。ここに鐘を逆さまにしたような山がある。珠洲ヶ岳だが、海上からの眺めが秀逸らしい。北前船の目印だった。紀元前後のころからの「須須(すず)神社」がある。高座宮(たかくらぐう)と金分宮(きんぶんぐう)、ふたつの宮があり、写真はその両宮の「奥の宮」。今回の大地震で、どのお宮も鳥居などがこわれたらしい。

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蛸島と神社 1・31 [2024年]

DSC02612.jpg☆蛸島港に接して円錐形の小山があります。全体が神域で「高倉彦神社」といいます。他の山と切り離されてるので、港を目指した船の目印になったことでしょう。元旦地震で、ここの石の鳥居もこわれました。

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遺跡は 1・30 [2024年]

DSC02452.jpg☆生きてるヒトが大事ですが、ここは縄文遺跡。津波を警戒してすこし高台にあるはずです。真脇(まわき)。見附島より10キロ南下します。能登町の真脇遺跡。富山湾を一望し、立山連峰が見える日もあります。円を描く巨木のモニュメント。丸太を縦に二分し、丸みのある方が内側です。なにに使用したのか、そして、こんどの地震に耐えましたか。

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街道深刻 1・30 [2024年]

DSC02536.jpg☆一方、古い家屋の残る街道筋は壊滅的です。でも、この一ヶ月間で、このような光景はテレビで毎日のように見ることになりました。でも、わたしの知りたい吾妻橋がどうなったか、「とろ山人形」の山車(だし)のことなどはわかりません。能登地震シリーズは、今月で一旦終わります。

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珠洲市中心 1・29 [2024年]

DSC02508.jpg☆前の写真と同じ位置から。春日通りの両脇はお屋敷町。つぶれた家はないが、よく見ると、屋根瓦が崩れている。右上に海は近い。シーサイドの客やスタッフはこの通りを神社の裏山へ走った。

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メインロード 1・29 [2024年]

DSC02482.jpg☆市役所から写しています。これは震災まもなくのニュースですが、その後もこの角度からの報道がくりかえされます。道路は「春日通り」といい、左下に行けば神社、港まで300メートルほど。市でいちばん幅も広く、きれいです。

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鳥居の運命 1・28 [2024年]

DSC02503.jpg☆そして、2024年元旦、春日社の石の鳥居は崩れました。木の鳥居のほうが、地震に強いと思いますが。

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生兵法 1・28 [2024年]

DSC02599.jpg☆大失態です。まちがいだらけです。訂正させてください。まずは歌碑の位置です。わたしは矢印の歌碑を写していました。鳥居は真横から見えているのでわかりにくいですが、下方中央になります。拝殿としたのは社務所でした。本殿は杜につつまれるように見えています。鳥居に直面し、さらに海に向かっています。穴あれば逃げ込みたい田螺かな。

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春日神社 1・28 [2024年]

DSC02591.jpg☆前の写真で矢印をつけた鳥居が右の端にあります。境内から写しているので、反対側。裏側といっていいのでしょうか。大伴家持の歌碑が岩の上に立っています。拝殿は鳥居をくぐって右手の奥。正面にあった建物をいつか移したのでしょう。(新宿の花園神社も移行していますね。むかしの鳥居は路地にあります)

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春日社境内 128 [2010年写真]

DSC02591.jpg

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