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市中の災害① 1・27 [2024年]

DSC02504.jpg☆やっと飯田町に戻ってきました。珠洲市の中心です。左端が市役所の建物です。右手の丘が飯田山、麓に春日社。

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生きてるEARTH 1・27 [2024年]

DSC02572.jpg☆前回で、見附島シリーズを終了するつもりでしたが、どうも後味がよくない。崩壊前の美形を。(でも、横腹に縦にヒビが走ってますね)

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post③ 1・26 [2024年]

DSC02570.jpg☆前から見れば、まだ軍艦でしたが、後尾はこれほど激しく破壊されています。海上に立つちいさな鳥居の運命は知りません。干潮になると、岩の道が現れるようです。

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post② 1・26 [2010年写真]

DSC02566.jpg☆左右に同量の土石がくずれ落ち、船首が波を蹴立てているようです。高さは変わらず、28メートルぐらい。古く、ちかくに「もうひとつの島」があったけれど、いつしか波間に消えたそうです。

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ぐんかんじま 1・25 [2024年]

DSC02567.jpg☆岩を並べた参道は水没しています。見附島のことを土地の人は「軍艦島」とも呼びます。軍艦のように見えるからです。ということは、軍艦が造られた明治以降のネーミングでしょう。長崎の石炭掘削のための島もです。こちらはおおきい。端島(はしま)が本名です。「軍艦島」と呼ばれたのは、1921年から。やはり、軍艦が流行っていた頃です。

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日本論 1・25 [2024年]

DSC02568.jpg☆すこしずつ情報が届いてくるようになりました。恋のチャペルも、地震直後に津波に襲われました。あらためて、四海に包まれたクニだと認識します。イギリスやニュージーランドも似た条件ですが、それぞれ、孤島認識にちがいがあります。

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post 1① 1・24 [2024年]

DSC02505.jpg☆見附島の被害の状況を知りたくて記事を探しました。なかなか見つからない。石川県の中心は金沢市です。ここから珠洲までは100キロ以上。東京駅から小田原へ行くよりも遠い。カメラも輪島へは行くが、こちらにはこない。震災数日後の地元新聞に、やっとこの姿が。左から延びている突堤は、鵜飼漁港のものだろう。

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地震前の岩の道 1・24 [2010年写真]

DSC02556.jpg☆このブログのふたつ前で、島を間近に見ました。その地点から浜のほうを振りかえりました。見付の杜です。1月1日、宿にいた人は 島が崩れるのをスマホに写しました。

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おもちゃの鳥居、鳥が居ます。 1・23 [2024年]

DSC02560.jpg☆鳥居です。漁師の遊びゴコロですか。能登半島の先祖は海民でした。海を生きる人たち。海人。海女。初期縄文人の90%は 海で生計をたてます。陸で眠り、魚介、海藻のほか、果実、根菜、茸、青菜、野鳥、家畜を食します。鳥居がいつから立ったか分りませんが、結界を意味しています。

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地震前 1・23 [2024年]

DSC02555.jpg☆ここで渡り石は途絶えています。近年、震度5ぐらいの揺れが数年おきに発生しています。そのとき崩れたのでしょう。戦後しばらく、島に登れたときもあったそうです。矢印のちいさな鳥居が、1月21日の空中写真にある「見附弁財天の鳥居」です。

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