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吾妻橋南詰 2・24 [2024年]

DSC02878.jpg☆吾妻橋までもどり、こんどは飯田町の中心に向かいます。内浦街道でもっとも繁華な通りでした。それが、いまや。震災から1ヶ月と少し。クルマ1台はくねくねと通れるようになりました。

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あの郵便局 2・24 [2024年]

DSC02909.jpg☆建物は無事のようですが、地面にひび割れ。入局禁止のコーン。「珠洲駅前郵便局」です。駅はなくても「駅前」です。廃線になった「のと鉄道」の珠洲駅は、ここから300メートルも山の手。鉄道ができたのは高度成長期で、すでに街道のまわりには、民家や工場が建っていた。津波を警戒して海岸から離れたわけではないようです。

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街道惨 2・23 [2024年]

DSC02904.jpg☆このあたり、海岸まで80メートル前後。街道は蛸島漁港や飯田漁港が隆盛をきわめたころ、いや、それ以前からここを通った。地震と津波は何度となくおそってきたはずだ。なのに、街道を山の手に変えなかったのはなぜだろう。海辺がもっと離れていたのか。それとも、家屋はなく、浜の松並木を抜けるような道でしたか。

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内浦街道現状 2・23 [2024年]

DSC02920.jpg☆この古い街道を、蛸島のほうへ、少しだけ歩いてみます。やられている家屋は1割か2割ほど。無難に建っているように見えても、「危険」の黄色や赤の張り紙も。

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木も命を絶たれた 2・22 [2024年]

DSC02918.jpg☆流木ですか。ブログの2・21日の震災前の写真には、木は植えてない。原点の2階屋は、内浦街道に面しています。

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押し寄せた波 2・22 [2024年]

DSC02875.jpg☆原点にした2階屋の隣の家も、近づいて見れば、無惨。指じるしの柵も壊れてますね。

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地震前 2・21 [2024年]

DSC02879.jpg☆赭色(オーカー色)の家は消えていますね。その右手の家のうちの幾軒かも。手前の広場は、前回の地震で更地になったのでしょうか。空き地になってます。

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家屋粉砕 2・21 [2024年]

DSC02903.jpg☆若山川左岸、海まで100メートル、吾妻橋北詰です。瓦礫は破壊された家です。何軒か知りません。言語による記録が大事です。震災前の写真と比べますか。左端の二階建ての家、すこし石垣の高台にあります。この家を原点にします。目印に。

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最新画像 2・20 [2024年]

DSC02870.jpg☆なんというグッドタイミング。グーグルマップが2月撮影の更新を始めました。まだ吾妻橋とその界隈だけですが、欄干の山車人形は無事のようです。でも、電柱はかたむき、道路に瓦礫が見えています。写真右手の二階屋の海寄りは、津波に洗われています。(次回掲載)

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吾妻橋 2・20 [2024年]

DSC02858.jpg☆しばらくは、在りし日の珠洲市中です。吾妻橋の真ん中に立ち、蛸島のほうを見ています。川は左からきて、右手の海(内浦)に入ります。

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