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大きすぎる 4・24 [2024年]

DSC03271.JPG☆鬼ノ城は堂々たる山城です。それが、この城に関する文献は見つかりません。吉備国大乱と関係しているからでしょう。勝利したヤマト政権は、吉備津彦を祀り、祖神のようなあつかいです。大化の改新後、どうも年代を決めかねているのですが、律令政治のひとつとして、国や郡や里を決定します。そのとき、吉備国は3つに分割されました。あまりにも広大な領土を所持していたからです。その上、姫路の西から尾道・三原のほうまで、瀬戸内に面しています。ヤマト政権の最重要海路を監視していました。

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SYUPO

ヤマト側に対して、吉備国側が平和裡に政権を委譲したとする説もあるようですが、鬼ノ城の記録がないことや、吉備津彦なる人物の影の薄さなど、知れば知るほど疑念が大きくなってきます。
鳥取県の青谷上寺地遺跡のような、「倭国大乱」的な戦いが吉備国でもあり、ヤマト側にとって都合の悪い記録が抹消されたのかもしれません。
*前に申し上げたかもしれませんが、母方の祖母は松永(現在の福山市西部)出身で、喋り方など岡山の言葉に近かったような記憶があります。
by SYUPO (2024-04-24 21:52) 

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