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真備町水浸し 5・10 [2024年]

DSC03459.JPG☆高梁川が満水になり、小田川に逆流してきた。いくケ所か、堤防が決壊して低地にあふれた。2018年7月、真備町だけで、災害関連の死者は、75人におよんだ。ふたつの川の合流地点は、デルタ型の低湿地帯。人が住んではならない土地だ。


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マビ町 5・9 [2024年]

DSC03448.JPG☆暗くてすみません。右側の高梁川(たかはしがわ)に、左から小田川(おだがわ)が流れこみます。町より高い天井川(てんじょうがわ)。黒い線が井原鉄道。夕日絶景の高架橋も一本の線だ。そうでしたか、グーグルマップの空撮地図は、修正をくわえて分かりやすくしたものでした。1999年に出来た井原線はとりあえず黒線で位置だけを示しましたか。

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夕日絶景 5・6 [2024年]

DSC03421.jpg☆清音駅を出て1キロほどは、伯備線に沿って南下します。そこから、ぐいと右に曲がり、高梁川をわたります。1999年、日本中が廃線廃駅になるなかで、単線の鉄道橋ができたのです。もっと新しいも橋梁かも知れません。井原鉄道が総社につなげて、倉敷につなげなかったのは、この橋からすぐ川下の左岸には、山が迫っていたからか、それとも西国街道のいにしえの記憶が働いたのかも知れません。

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きよね駅 [2024年]

DSC03415.jpg☆吉備線ができて20数年後、伯備線の開通は地域にとって大激震です。倉敷まで10分。その途中に清音駅が置かれたのは、西国街道がここから高梁川を渡って備後(びんご)へと向かっていたからです。それから、なんと1999年、同じコースを走る「井原線(いばらせん)」が開通したのです。写真左がJRの清音駅。右の階段が井原鉄道の駅。金田一耕助が降り立ったのは左の国鉄のころの駅。

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なんだか教養日本史 5・5 [2024年]

DSC03397.jpg☆美作(みまさく)が備前から分割された話は、すこし後でします。備前・備中・備後から成る「吉備王国」の大きさを、実感してください。奈良のヤマト政権がライバル視するのもわかります。ボクたちは、総社から西国道(さいこくどう)を、備後(びんご)府中へめざします。ただ道中「清音」とか「真備町(まびちょう)」とか「吉備真備(きびのまきび)」とか、それに北条早雲の誕生地にも道草したいようです。

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川には白帆の船が 5・4 [2024年]

DSC03322.JPG☆駅の西側から高梁川(たかはしがわ)に向けて行くと、この総社大橋だ。対岸には田がひろがる。むかしは、この川を下って倉敷に物資を届けた。倉敷からさきは、「吉備の穴海(あなうみ)」で、そこを渡って瀬戸内海に出た。次回から、吉備大国の三つ子のひとつ、備後(びんご)へ。

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また下手図 5・4 [2024年]

DSC03394.jpg☆備前・備中の概略図です。青色が森林、山岳です。備中総社を通る黒線が高梁川(たかはしがわ)で、中国山脈から材木や鉄を運んできます。吉備国の発展の礎になりました。総社市に入る前は川幅が細く、A地点から一気にひろがります。扇状地が生まれます。弥生になると水田に最適です。吉備国の中心になります。倉敷へ行く前に川幅はまたせまくなり、B地点をすぎて再度扇状地になり、豊かな水利を保証します。

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総社駅 5・3 [2024年]

DSC03324.JPG☆総社駅に着きました。伯備線の駅がここにできてから、吉備線をここまで延長します。さらにここから井原(いばら)鉄道が福山市に向かいます。

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二度と建たない 5・3 [2024年]

DSC03312.JPG☆しもた屋です。庇(ひさし)が深く、屋根瓦がきれいです。

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古商家 5・2 [2024年]

DSC03307.JPG☆総社は空襲を受けてないようで、戦前の商家がいまも現役です。ただ、それほど多くはなく、いまふうのお店に埋もれかけています。写真の右の店は、「備中神楽味噌秋山糀(こうじ)店」と看板に。左は「うつわ 家庭食器 きたむら」です。

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