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勉強まとめ 4・23 [2024年]

DSC03172.JPG☆時系列に並べます。吉備王X代はタテツキ墳墓に埋葬された。そのあと数代は栄え、奈良風の前方後円墳に祀られた。造山古墳、作山古墳などだ。以降、いくつも残っているが、規模はちいさくなる。大きい頃は奈良に負けない。対等に娘をヤマト王に送ったりした。ときには戦った。ヤマトの王権が力をつけると、吉備征討の兵船が瀬戸内を埋めた。大将はキビツヒコという名をつけられた。吉備津を征服したので吉備津彦。本当の名は忘れられている。

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SYUPO

奇妙な印象を受けるのは、そこまで繁栄を誇った吉備国が、なぜ急にヤマトからの侵略を受け弱体化したのかということです。
また、「名無し」の「キビツヒコ」とは、いったいどういう存在だったのでしょうか。初めから実体がなっかたのか、それともヤマト側にとって不都合な事実を隠蔽しているのでしょうか。

*今日ジュンク堂で『前方後円墳の時代』を買わせていただきました。
 一緒に小説『日本橋』(岩波文庫・泉鏡花)と『怪と幽16号』(KADOKAWA)も購入しました。
by SYUPO (2024-04-23 23:50) 

塩見 鮮一郎

『怪と幽16号』、貴君は書いてないようで。
by 塩見 鮮一郎 (2024-04-24 03:02) 

SYUPO

はい、そうなのです。
ここ何年か、まとまったものを書いていません。
それで、一念発起。
書くことに集中するため、10年間務めた専門学校の講師を先月限りで辞めました。
by SYUPO (2024-04-24 13:28) 

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