作家 塩見鮮一郎 が撮影する日々の写真
青年は十数年ほど前、キャンプに行った時のことも憶えていました。僕たちとの会話もしっかり記憶にとどめており、「大自然」という言葉についての彼のアンサーも、十数年の時を経て用意されていました。自分はその答えに瞠目し、彼と再会して良かったと思いました。 by SYUPO (2024-04-03 21:01)
知りたいですね。アンサーを。大自然と自然のちがい。 by 塩見 鮮一郎 (2024-04-04 01:11)
青年が初めて奥多摩へ行ったとき、「わあ、大自然だ!」と叫びました。あまりに無邪気な感動ぶりに、そりゃ大げさじゃないかと、僕は笑いました。しかし今回彼は、「やっぱり奥多摩は大自然だった」と言うのです。青年は、南米のアマゾンにも行ってきたそうです。が、旅行者は、直に自然に触れることが禁じられていました。虫や動物など、危険なもの・有害なものが多いのだそうです。アマゾンでは、人は自然の側から脅かされており、対立する関係ですが、奥多摩の場合はそうではなく、周囲の自然と触れ合うことできます。それで、自分にとっては奥多摩のほうが感覚的に「大自然」だと思えたと……そのようなことを話していました。面白い話だと思って聞いていました。 by SYUPO (2024-04-04 02:13)
青年は十数年ほど前、キャンプに行った時のことも憶えていました。
僕たちとの会話もしっかり記憶にとどめており、「大自然」という言葉についての彼のアンサーも、十数年の時を経て用意されていました。
自分はその答えに瞠目し、彼と再会して良かったと思いました。
by SYUPO (2024-04-03 21:01)
知りたいですね。アンサーを。
大自然と自然のちがい。
by 塩見 鮮一郎 (2024-04-04 01:11)
青年が初めて奥多摩へ行ったとき、「わあ、大自然だ!」と叫びました。
あまりに無邪気な感動ぶりに、そりゃ大げさじゃないかと、僕は笑いました。
しかし今回彼は、「やっぱり奥多摩は大自然だった」と言うのです。
青年は、南米のアマゾンにも行ってきたそうです。
が、旅行者は、直に自然に触れることが禁じられていました。虫や動物など、危険なもの・有害なものが多いのだそうです。
アマゾンでは、人は自然の側から脅かされており、対立する関係ですが、奥多摩の場合はそうではなく、周囲の自然と触れ合うことできます。それで、自分にとっては奥多摩のほうが感覚的に「大自然」だと思えたと……そのようなことを話していました。
面白い話だと思って聞いていました。
by SYUPO (2024-04-04 02:13)