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ここ、どこか 7・9 [2021年写真]

DSC00048.JPG☆高架下かな。ツレに聞いておけばよかった。通路にも天井があるのです。それはそうと、三原市の河川の氾濫に、天井川とあったが、沼田川のまちがいかも。シュポさんに聞いてみよう。

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SYUPO

お答えします。
地図でご覧になるとよく分かるのですが、天井川は南西側から流れてきて、沼田川の河口から5キロメートルあたりで合流します。
まさに「天井川」で、地面よりも高い位置を流れています。
たしか一週間くらい前の中国新聞でした。天井川ではポンプが24時間稼働し、監視員が12時間交代でしっかりと見守り水害に備えている、といった記事が掲載されていました。
「だから安心して下さい」というニュアンスが感じ取れましたが、今回は最大級の降雨量によって水かさが増え、ポンプも壊れてしまったようです。
by SYUPO (2021-07-09 00:52) 

塩見 鮮一郎

天井川は人工の用水路のように見えますが、どうですか。
天井の意味がわかりました。やはり実地体験ですね。
by 塩見 鮮一郎 (2021-07-09 01:01) 

SYUPO

この一帯は、鎌倉時代に土肥実平の息子(あるいは孫の代?)が地頭として定着し、小早川を名乗った所です(厳密に言えば、天井川のあたりは支族の「小泉氏」だと思います)。
大昔に入海だった土地がしだいに乾き、湿地帯となり、中世に灌漑などを行って農地に変えていったのだそうです。
土地の低さは、そのころの名残りではないでしょうか。
by SYUPO (2021-07-09 01:02) 

SYUPO

人工の川かどうかは、不勉強にして存じません。
あとで調べてみます。
by SYUPO (2021-07-09 01:03) 

塩見 鮮一郎

おもしろいです。
ありがとう。
近代になっても、沼田川と並んで流れているのですね。
やはり農業用水ですかね。
by 塩見 鮮一郎 (2021-07-09 01:19) 

SYUPO

少し調べました。

江戸時代頃に南側の竹原で製塩が盛んになり、塩を煮詰めるための燃料が必要になりました。
源流部の山の木がどんどん伐採され、その影響で川が氾濫し、堤防を高くしていったそうです。氾濫はやまず、川底には土砂が溜まりつづけ、さらに堤防が築かれ……やがて天井川になったということでした。

by SYUPO (2021-07-09 22:13) 

塩見 鮮一郎

貴君のコメントのあと、
ニュースを見ていて、なるほど、天井川だ。
堤防を切って低地に流れています、激しく。

これ、何千倍もの規模で、東京荒川でも起きます。
あそこは天井もいいとこ。3階ビルほど水がアパートよりも高い。
by 塩見 鮮一郎 (2021-07-10 02:58) 

SYUPO

そう思います。
いったん荒川が決壊すれば、大災害が懸念されます。
そのようなギリギリの状況の上に成り立っている都市の危うさは、何回強調しても強調しすぎることはないと思います。
その意味でも『江戸の城と川』は、地形と歴史の関係に目を開かせていただいた、稀有な本でした。
by SYUPO (2021-07-10 14:19) 

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