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尾崎放哉のこと 5・24 [2021年写真]

DSC08449.JPG☆港の建物のわきに、ちいさい広場があり、そこに、12人の子たちと大石先生。さらに尾崎放哉(おざきほうさい)の記念碑。前衛俳人は、鳥取に生まれ、東京で保険会社の幹部、朝鮮で支店長。昭和12年、職と妻を捨て、寺男などをへて、小豆島にたどりつき、土庄で死す。「咳をしてもひとり」8文字の傑作。これだけで俳人の境遇も心性もわかる。

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