作家 塩見鮮一郎 が撮影する日々の写真
それらの建築物を今、ロシアが破壊しているのは何とも言いようがありません。悲しいことです。 by SYUPO (2024-03-28 14:18)
*私事ですみません。 父は兵士ではありませんでしたが、敗戦時、大連におりました。 17歳の中学生でした。 ソ連に接収された漁網工場で働かされ、若い日本人ばかりを集めたグループで、班長のような役目をさせられました。 仕事ぶりが真面目だと評価され、そのために一時は「シベリアにいって働かないか」と声をかけられたそうです。 懸命に断わりつづけ、あやうく難をのがれたと言っていました。 その工場の責任者は、ソ連人の女性将校だったそうです。 by SYUPO (2024-03-28 21:32)
それらの建築物を今、ロシアが破壊しているのは何とも言いようがありません。悲しいことです。
by SYUPO (2024-03-28 14:18)
*私事ですみません。
父は兵士ではありませんでしたが、敗戦時、大連におりました。
17歳の中学生でした。
ソ連に接収された漁網工場で働かされ、若い日本人ばかりを集めたグループで、班長のような役目をさせられました。
仕事ぶりが真面目だと評価され、そのために一時は「シベリアにいって働かないか」と声をかけられたそうです。
懸命に断わりつづけ、あやうく難をのがれたと言っていました。
その工場の責任者は、ソ連人の女性将校だったそうです。
by SYUPO (2024-03-28 21:32)