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歴史の芯 12・19 [2024年]

スクリーンショット 2024-12-06 131827.png☆国分寺にちかい通りに、こんな碑がある。町名だけが記してある。「旧赤間関稲荷町跡」と読める。イナリちょーと言うだけで、往時の栄華を思う人がまだ少なくないのだろうか。江戸時代なら北前船(きたまえぶね)が寄港し、この街で遊んだ。危険と隣り合わせ、しかし一攫千金の船員が歓楽の宴を張らないはずはない。近代軍国時代には、出征兵士も内地の最後の一夜をすごした。

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SYUPO

稲荷町の遊郭は格式が高く、戦で負けた平氏の女官たちが遊女になったという伝説があるそうですね。
死と隣合わせの船乗りや兵士たち。
そして遊女たち。
歴史の「芯」は、ギリギリの中で生きた男女が出会い、歓楽を尽くす場だったのですね。
by SYUPO (2024-12-19 01:40) 

塩見 鮮一郎

応援、ありがとう。
この碑を立てた住民の心意気に感動します。
かつての被差別部落の人も、真似てほしい。
存在を消さない。
by 塩見 鮮一郎 (2024-12-19 01:53) 

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